LEE'S リーズ
- 学びをかさねて -
この3月で事務所開設30周年をむかえました。1995年は社会の大きな転換点でした。その後の変化を同時代で生きながら、LYK流パーソナル・アシスタントの実践を模索し今にいたっています。
たかだか30年、されど30年。
2月3日立春リーズレターに書いたように、模索のなかで大切で貴重な学びを得られ、〈自分に試練を与える〉直感と実行は功を奏したと思えます。
学びはうそをつかない。学びに応じて人の役にも立てる、昨年来そう実感じています。これからも、無理はせず、でも学びはかさねて、あなたの歩みをよりよくアシストできるよう、31年目を始めます。
2025年4月1日 リー・ヤマネ・清実
◆日常を観察する essais〈話す&書く〉

・2025年7月4日(金) 旧知からの音信に
−中井久夫『
最終講義』−
2025年7月4日 小脳の働き
2025年7月3日(木) 曇り
7月に入ったとたん、風がなくなった。いやな暑さになって、今朝は特にそう感じた。よく食べ寝るので夏バテはほぼなく例年すごしているが、今年はさすがに気になってきた。そう、気にして、予防、予防。
― あなたとわたしの
パーソナル・アシスタント考−(2)
『PAの軸と訓』 8
1日(火)に読んだ『最終講義』に次のような一文があった。「治療者」を「PA」に置き換え、言えると思った。
苦しい時の心の支えにはこの世で誰からが自分のことを気づかってくれているということがあります。
時には治療者がそのような存在として思い起されることがあるのを治療者は知っておく必要があります。
今日3日に読んだ箇所にも、考えさせられた。
統合失調症の人のどこかに「ふるえるような、いたたしいほどのやわらかさ」を全く感じない人は治療にたずさわるべきでしょうか、どうでしょうか。
実際患者であろうと医者であろうと「心の生ぶ毛のすり切れた人」は本人も不幸でありますが、周囲の人もそういう人とつき合いたいでしょうか。
「心の生ぶ毛」とは、人が持つ“かすかな兆し”を感じ取る力。心のセンサー、触手のようなもの。
人の心の中にある繊細で柔らかな感受性や、他者との関係を築くための微細な感覚を象徴しているという。
3年前の日経に「気配」についての特集があったが、うぶ毛がセンターになっている可能性を指摘していた。通じるものがある。
「他者との関係を築くための微細な感覚」、それをすり切らせず、ちゃんと機能させておかないとPAの役目も果たせない。
前回かんがえた第四の訓、「自他ともに狎れず、ものごとの微かな変化に気をむける」、あらためて。
「自他ともに狎れず、〈微細な変化〉に気をくばり、呼応・適応する」。まずはこうしておこう。

−Personal Assistant for You LEE'S−
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2024年3月27日(