LEE'S リーズ
- 「先を読む」のために -
「先を読む」。そのココロは、「夢や目標のために、現在の状況や傾向から、将来起こりうる可能性や問題を推測し、それに対して準備すること」。
年初から大きなこと、ニュースが続いています。身近な世界では人生の大きな転機、節目に立っている人もいます。
巨視的で微視的でもあり、大局をとらえながらも微細な変化に気づき、あなたの経営の「先を読む」をアシストする。気持ちを新たに、新年度をはじめます。
2024年4月1日 リー・ヤマネ・清実
◆日常を観察する essais〈話す&書く〉
・2024年4月26日(金) 気象と気性
・2024年4月25日(木) 日常の中にある〈索引〉
・2024年4月24日(水) 試験をうける人は
・2024年4月23日(火) 子ども読書の日
・2024年4月22日(月) 「世界」の原義
2024年4月26日(金) 晴→雲
午後からすっかり曇り空になった。気温が高めで少しむしっとする。明日から大型連休、暑さに気をつけないといけないそうで、今年も夏ばかりが季節を陣取る?
― 〈捨て石〉をすてない ―
いま読んでいる「中井久夫集3」の中に〈捨て石〉という言葉が出てくる。治療者として患者さん一人ひとりのよりよい状態のために、「いつ生きるかわからない多くの捨て石を置く」。
このとき、自分にとっての〈捨て石〉は、こうして仕事とは直接関係のないことを書いたり、読んだり、憶えたりしていることかもしれないと思った。ちょっと違っていそうで、案外あてはまる。
いつ生きるかわからないけど、いつかは生きる。触覚の3要素のことをフィジカル系サロンの起業家に話したら、なんでそんなことを知っているのかという表情を浮かべながら、メモしていた。
さてその〈捨て石〉の何割ぐらいが実際に目にみえる場面で生きただろう。たぶん4〜5%ぐらいじゃないか。約95%は自分自身の中で、情報をアップデートしながら醸成されている、そんな風に感じられる。
「わたしたちは一旦知ったことは知らなかったことにできない」(マーヴィン・ミンスキー)を思い起こすと、記憶にははっきりのぼってこなくても、精神に隙間があるとすれば、それを埋めている。
おかげで良い補強材になって、仕事全般に自分なりのものが備わってきて、誰かの目には頼もしくみえ、頼られる。かならず〈誰か〉であって、〈誰にでも〉でない点がミソ。
そういうことも含めて、〈捨て石〉の究極的な効用、ご利益は、大きく二つだなぁと昨日思いあたった。どちらもモンテーニュの言っていることであって、一つは「自分を教える」ためのものになっている。
そしてもう一つは、『自分の心により強い力にみちた備えを仕込んでおかなければならない』ためのものになっている。どちらもまだまだこれからもずっと努力が必要であるから、〈捨て石〉をすてることはできない。
− 4月26日の『中井久夫集3』より −
もっとも、不安なしに対象世界が徴候化することはある。それは、狩人の場合であって、カルロ・ギンズブルグは、些細な足跡や草の倒れた形から獣が通った跡を推理する狩人の「徴候的知」を、歴史家、医師、推理作家などの方法の先駆として、この「知」による科学に「演繹」や「帰納」による科学と同等の「知」としての位置を与えることを主張している。
中村雄二郎氏に始まる「臨床的知」の概念は、つまるところギンズブルグの「徴候的知」であるまいか。この「知」は、意識的な「方法論」methodologyではなく、十八世紀の古くからいわれながらあまり取り上げられていない「セレンディピティ」による知であると私は思う。
−Personal Assistant for You LEE'S−
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2024年3月27日(